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Xで人生のクオリティを下げる人々。Xの正しい使い方
公開日: 2026年02月05日
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こんにちは!YouTuber ウラケン不動産です。
今日は「X(旧Twitter)で人生のクオリティを下げてしまう人たち」というテーマでお話ししようと思います。
僕自身、Xを使っています。
フォロワーは1万人ほどいますが、日々の思考を垂れ流したり、誰かの投稿に絡んで議論したり、バトルを仕掛けたりは一切していません。
理由はシンプルで、あの場所で揉めること自体が、人生のクオリティを下げる行為だと思っているからです。
炎上させてインプレッションを稼ぎ、フォロワーを増やす。
そういう戦略が存在すること自体は否定しません。
でも、少なくとも僕はやらないし、やる理由も感じていません。
Xは「即効性のある情報収集ツール」としては最高です
まず大前提として、僕はXというサービス自体を否定しているわけではありません。
むしろ、使い方次第では人生の効率を大きく上げてくれるツールだと思っています。
Xの一番の価値は何か。それは間違いなく「即効性のある情報収集」です。
東日本大震災のときの話ですが、あのとき電話はほとんど繋がりませんでしたよね。
当時、妻と息子は卒園式の謝恩会でホテルにいて、僕は小学校へ娘の学芸会を見に行っていました。
地震でインフラが途絶え、家族と約6時間、直接会うことができませんでした。
そのとき、インフラの状況を知るのも、家族と連絡を取るのも、頼りになったのはTwitterでした。
あの瞬間、Twitter(今のX)は間違いなく命を守るツールだったと思っています。
この価値は、今でも変わっていない。だからこそ、Xは「うまく使えば非常に優秀なツール」だと、僕は今でも思っています。
最近のXを見て、正直うんざりする理由
ただ、最近のXを見ていて、正直うんざりする場面が増えました。
・有名人に絡んでバトルを仕掛ける
・汚い言葉で喧嘩をする
・対立を煽り、炎上を狙う
こういう使い方、やたら目につきませんか?
もちろん、「バズりたい」「承認されたい」「フォロワーを増やしたい」、そういう目的があるのは分かります。
マーケティング的に見れば、フォロワー数=影響力、という側面があるのも事実です。
ただ、そのために人を傷つけたり、自分の感情をすり減らしたり、本当は楽しいことに使える時間を怒りの返信を考えることに使ったり・・・それ、本当に割に合っているんでしょうか。
フォロワーは多いが、人生のクオリティが下がっている人たち
Xを見ていると、フォロワーは多いけれど、いつも誰かと揉めていて、常に怒っていて、言葉がどんどん汚くなっていく・・・そんな人がいます。
確かにフォロワーは増えているのかもしれません。
でも、人生のクオリティは確実に下がっていると、僕は思っています。
・他人の投稿が気になって仕方がない
・通知が来るたびに感情が揺さぶられる
・時間も集中力も削られる
冷静に考えると、かなりもったいない状態です。
僕がXで議論しない理由は、ただ一つ
だから僕は、Xで議論することが好きじゃありません。というより、最初からしないと決めています。
誰かに絡みに行くこともしないし、絡まれても基本的に無視します。
理由は単純で、時間と労力の無駄だからです。
X上の議論で、相手が考えを変えることは絶対にありません。
見ていても分かると思いますが、あれは“議論”ではなく、ただのバトルです。
感情的になって、エネルギーを消耗するだけ。
返信一つ考えるだけでも、かなりのエネルギーを使います。
その時間があるなら、家族と美味しいご飯を食べたり、釣りのプランを考えたり仕掛けを作ったり、仕事のアイデアを練ったりした方が、よっぽど人生はハッピーです。
実際、僕もXで絡まれたことは何度もありますが、返信する義務も付き合う責任もないと思っています。
承認欲求を満たすためにSNSを使い始めた瞬間から、人生は削られる
SNSには「目立ちたい」「承認されたい」という欲求がつきものです。
何を食べた、今どこにいる、これから誰とどこに行く・・・。
成田空港から行ってきます~みたいな、いわゆる「エアポートおじさん」なんて言葉もありましたよね。
あくまで僕はですが、そういうことをSNSで公開する意味を感じません。
それよりも、誰かの役に一ミリでも立つ情報を、淡々と出していきたい。
承認欲求を満たすためにSNSを使い始めた瞬間から、人生が少しずつ削られていく気がしています。
もちろん、僕だって承認欲求がゼロなわけではありません。
昔は多少ありました。でも、今は全然ありません。
僕が日常を話すのは、毎朝放送しているVoicyだけですが、それも承認欲求というより、「導入で話すことがないから仕方なく話している」というのが正直なところです。
Xは薬にもなるし、毒にもなる
Xは、薬にもなるし、毒にもなるツールです。
・情報収集
・知的な刺激
・価値の提供
これらは薬と言えるでしょう。一方で、
・炎上を眺めて楽しむ
・喧嘩をする
・承認欲求に依存する
これは毒だと思います。
毒を飲むために、わざわざXを使う必要はありません。
人生のクオリティを守るなら、Xは「情報収集ツール」に徹する
結論です。
人生のクオリティを守りたいなら、Xは情報収集ツールに徹するのが一番いい。
・自分と家族の時間を守るため
・新しい発見や価値を共有するため
そういう使い方をしていけば、Xは十分に価値のあるツールになると思います。
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こんにちは!YouTuber ウラケン不動産です。
今日は「X(旧Twitter)で人生のクオリティを下げてしまう人たち」というテーマでお話ししようと思います。
僕自身、Xを使っています。
フォロワーは1万人ほどいますが、日々の思考を垂れ流したり、誰かの投稿に絡んで議論したり、バトルを仕掛けたりは一切していません。
理由はシンプルで、あの場所で揉めること自体が、人生のクオリティを下げる行為だと思っているからです。
炎上させてインプレッションを稼ぎ、フォロワーを増やす。
そういう戦略が存在すること自体は否定しません。
でも、少なくとも僕はやらないし、やる理由も感じていません。
Xは「即効性のある情報収集ツール」としては最高です
まず大前提として、僕はXというサービス自体を否定しているわけではありません。むしろ、使い方次第では人生の効率を大きく上げてくれるツールだと思っています。
Xの一番の価値は何か。それは間違いなく「即効性のある情報収集」です。
東日本大震災のときの話ですが、あのとき電話はほとんど繋がりませんでしたよね。
当時、妻と息子は卒園式の謝恩会でホテルにいて、僕は小学校へ娘の学芸会を見に行っていました。
地震でインフラが途絶え、家族と約6時間、直接会うことができませんでした。
そのとき、インフラの状況を知るのも、家族と連絡を取るのも、頼りになったのはTwitterでした。
あの瞬間、Twitter(今のX)は間違いなく命を守るツールだったと思っています。
この価値は、今でも変わっていない。だからこそ、Xは「うまく使えば非常に優秀なツール」だと、僕は今でも思っています。
最近のXを見て、正直うんざりする理由
ただ、最近のXを見ていて、正直うんざりする場面が増えました。・有名人に絡んでバトルを仕掛ける
・汚い言葉で喧嘩をする
・対立を煽り、炎上を狙う
こういう使い方、やたら目につきませんか?
もちろん、「バズりたい」「承認されたい」「フォロワーを増やしたい」、そういう目的があるのは分かります。
マーケティング的に見れば、フォロワー数=影響力、という側面があるのも事実です。
ただ、そのために人を傷つけたり、自分の感情をすり減らしたり、本当は楽しいことに使える時間を怒りの返信を考えることに使ったり・・・それ、本当に割に合っているんでしょうか。
フォロワーは多いが、人生のクオリティが下がっている人たち
Xを見ていると、フォロワーは多いけれど、いつも誰かと揉めていて、常に怒っていて、言葉がどんどん汚くなっていく・・・そんな人がいます。確かにフォロワーは増えているのかもしれません。
でも、人生のクオリティは確実に下がっていると、僕は思っています。
・他人の投稿が気になって仕方がない
・通知が来るたびに感情が揺さぶられる
・時間も集中力も削られる
冷静に考えると、かなりもったいない状態です。
僕がXで議論しない理由は、ただ一つ
だから僕は、Xで議論することが好きじゃありません。というより、最初からしないと決めています。誰かに絡みに行くこともしないし、絡まれても基本的に無視します。
理由は単純で、時間と労力の無駄だからです。
X上の議論で、相手が考えを変えることは絶対にありません。
見ていても分かると思いますが、あれは“議論”ではなく、ただのバトルです。
感情的になって、エネルギーを消耗するだけ。
返信一つ考えるだけでも、かなりのエネルギーを使います。
その時間があるなら、家族と美味しいご飯を食べたり、釣りのプランを考えたり仕掛けを作ったり、仕事のアイデアを練ったりした方が、よっぽど人生はハッピーです。
実際、僕もXで絡まれたことは何度もありますが、返信する義務も付き合う責任もないと思っています。
承認欲求を満たすためにSNSを使い始めた瞬間から、人生は削られる
SNSには「目立ちたい」「承認されたい」という欲求がつきものです。何を食べた、今どこにいる、これから誰とどこに行く・・・。
成田空港から行ってきます~みたいな、いわゆる「エアポートおじさん」なんて言葉もありましたよね。
あくまで僕はですが、そういうことをSNSで公開する意味を感じません。
それよりも、誰かの役に一ミリでも立つ情報を、淡々と出していきたい。
承認欲求を満たすためにSNSを使い始めた瞬間から、人生が少しずつ削られていく気がしています。
もちろん、僕だって承認欲求がゼロなわけではありません。
昔は多少ありました。でも、今は全然ありません。
僕が日常を話すのは、毎朝放送しているVoicyだけですが、それも承認欲求というより、「導入で話すことがないから仕方なく話している」というのが正直なところです。
Xは薬にもなるし、毒にもなる
Xは、薬にもなるし、毒にもなるツールです。・情報収集
・知的な刺激
・価値の提供
これらは薬と言えるでしょう。一方で、
・炎上を眺めて楽しむ
・喧嘩をする
・承認欲求に依存する
これは毒だと思います。
毒を飲むために、わざわざXを使う必要はありません。
人生のクオリティを守るなら、Xは「情報収集ツール」に徹する
結論です。人生のクオリティを守りたいなら、Xは情報収集ツールに徹するのが一番いい。
・自分と家族の時間を守るため
・新しい発見や価値を共有するため
そういう使い方をしていけば、Xは十分に価値のあるツールになると思います。
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